「ローデシア」の方がカッコイイ?



ジンバブウェ(昔のローデシア)の歴史について、以前、日本のローカルネット、ニフティサーブで紹介した事があります。
ミリタリー趣味の世界やサバイバルゲームの世界では「ローデシア」軍の人気が高いようですが、背景である歴史面への関心はまだまだのように見受けられます。何故「ローデシア」という国名だったのか、何故「ローデシア」が倒れ、「ジンバブウェ」になったのか、ざっとした物ですが読者の参考の便の為に転載いたします。
なお改行位置を変更しています。又、「カツ」というのは昔私が使用していたペンネームです。「実名表記」うんぬんは本筋とは関係ありません。


- FMOKEIRG MES(17):-------GUN BLUE-------銃全般 95/11/27 -
01202/01202 SGS02754 カツ ローデシアの方がカッコイイ?
(17) 95/11/27 18:59

木下 純さん、さめ ひろしさん、こんにちは。割り込みになるので別メッセージにさせてもらいます。ジンバブウェ、(昔はローデシア)の歴史について簡単に説明させてもらいます。

19世紀に入り、ショナ(Shona)族の国を滅ぼし、ヌデベレ(Ndebele)族の王国を築いたムジリカジの息子で王国最後の王、ローベングラ(Lobengula)は、アフリカ大陸を次々に侵略し、植民地化していったヨーロッパ人勢力の一人でイギリス人の資本家、C.J.ローズ(Cecil John Rhodes)と協定を結んだ。それは金銭、ライフルと引き替えに一部の地域の鉱山採掘権を与える、というものだったが、ローズはこの協定をネタに全地域の支配権の掌握を目指し1889年イギリス南アフリカ会社を設立した。
ローズは協定を無視し土地領有権まで主張したため、これに対しヌデベレ族はショナ族とともに、1893年および1896〜1897年にかけてヨーロッパ人帝国主義者の侵略に抵抗して立ち上がったが、圧倒的な武力によって鎮圧されてしまった。そして現在のジンバブウェ、マラウィ、ザンビアの地域を含むこれらの地域は侵略者ローズの名前をとり、ローデシア(Rodesia)と名づけられ、本来アフリカ人のものであるこの土地を植民地として白人が支配するようになったのである。

そしてその後は省略するが、イギリス政府は植民地経営から手を引く事を希望したが、甘い汁を吸うのをやめたくない現地の白人支配者達はこれに反発し、彼等の帝国主義的植民地支配を継続するために、第二次大戦後の1953年になってもローデシア・ニヤサランド連邦を結成し植民地支配を続けたのである。
1960年代になってアフリカの諸国が次々にその土地をアフリカ人のものとして取り返す中、ローデシア・ニヤサランド連邦も解体するが、南ローデシアの白人政権は少数白人支配体制における独立をめざして宗主国イギリスと交渉に入った。アフリカ人ナショナリズム運動も、多数支配の即時実現を要求して活動を展開したが、白人政権の弾圧によって成果を上げるにはいたらなかった。
イギリス政府は独立の条件として多数支配への漸進的移行、および人種差別の撤廃を主張したが、白人政権はこれを拒否して1965年11月11日、ローデシアとして一方的独立宣言を行った。
イギリス政府は経済制裁を行いこの動きに対し対抗したが、南ローデシアと同じく人種差別政策を行っていた南アフリカが協力したため、効果が上がらなかった。もはや世界状況は帝国主義の時代は終わっており、1972年末から開始されたアフリカ人解放組織の本格的なゲリラ闘争も効果を上げ始めたのである。
そんな中、苦境に立たされた少数白人支配体制の政権は名目上は人種平等を唱え、穏健派解放組織の代表と1978年に新憲法に関する協定を結んだが、実質的には今だに白人優位の体制を維持しようとして悪あがきを続けていたのである。
植民地支配からの解放、民族の独立を目指し根強く戦ってきたジンバブウェ・アフリカ民族同盟(ZANU)、ジンバブウェ・アフリカ人民同盟(ZAPU)の解放勢力もこれを認めず、なお一層武力解放闘争を強化し、また、世界の世論も人種差別撤廃の解放勢力に味方し、ついに1980年4月18日、長年の植民地支配を打ち破り、国際的にも承認されたジンバブウェが誕生したのである。
現在ジンバブウェには、その何世代も前から居住している白人も住んでいる。長らく白人達は現地アフリカ人を差別し、弾圧してきたが、解放後、解放勢力は彼等白人もアフリカに住むアフリカ人としてとらえ、少数白人の保護という意識をもってあつかっている。そして現在のジンバブウェ軍もまた、旧政府軍と解放軍、つまり敵どうしであった者を1981年にひとまず統合し、白人、黒人、ともに一緒になってジンバブウェ軍を構成しているのである。
ジンバブウェの国名はその地域に散在する巨大石造建築遺跡、現地語で石の家を意味するジンバブウェ(Zimbabwe)から由来している。この遺跡は白人の入植以前のアフリカ人の技術力の象徴であり、民族の誇りでもある。巨大な石の家、であるから、強く、多くの民衆の住める、大きな家、つまり新しい国家の象徴としての意味もあるだろう。
ジンバブウェは成立後すぐに、アフリカ大陸に残った最後の人種差別国家、南アフリカを批判し、国交を断絶し、新しい社会の建設に向けて歩み始めた。
そしてその南アフリカもネルソン・マンデラ氏の勝利により、人種差別政策を撤廃し、新国家体制樹立に向けて進んでいる。現地の共産主義者、民族独立主義者達の血の努力によって植民地主義、帝国主義の支配はついに終わったのである。

以上、ジンバブウェの歴史について非常に簡単にまとめてみました。平凡社世界大百科辞典、その他を参考にしました。なを以下の本も参考の為におすすめいたします。

題名:アフリカは本当に貧しいのか 西アフリカで考えたこと 著者:勝俣 誠
出版:朝日新聞社 朝日選書初版:1993年9月25日

題名:ジンバブエの風はどちら向き 著者:中嶋 嶋明
出版:JETRO(日本貿易振興会)初版:平成4年8月6日

コンバット☆マガジン、アームズマガジンその他の記事についていわゆる「ローデシア迷彩」については確かに色々と掲載されています。コンバット☆マガジンでは何ヵ月にも渡ってローデシア軍についての連載もありました。
だが、私が不満とするのはどの記事もその、人種差別を遂行していた政府軍、そして金で雇われた殺し屋、つまり傭兵部隊の紹介ばかりにとどまり、ただカッコイイで終わってしまっている事です。民衆の解放、人種差別の撤廃に向けて戦った本当の意味での主人公である解放勢力の紹介は皆無と言っていいでしょう。銃や軍装品の記事だけでなく、その背景、歴史についても少しだけでもスペースをさいても良かったのではないでしょうか。
ここではっきり私の意見を言わせてもらうと、ローデシア軍として紹介されている傭兵部隊は、つまるところ金によって白人優位の人種差別を進める為に協力している「悪」のゴロツキ集団です。けっして傭兵部隊は「カッコイイ」とは思いません。民衆の為に戦うのと、差別体制の維持の為に戦うのと、どちらがカッコイイのか!?その事は読者一人一人がもっと調べて、考えてみてもいい事ではないでしょうか。
前の発言にあったアホカリプス95。このイベントには私も参加するつもりでしたが、参加するならちゃんと勉強してから、と思っていたところ、間に合わなかったのと、他の参加者の意識の低さにあきれたのと両方の事で取りやめにしました。前回開催された中国軍対日本軍には参加したのですが。各雑誌には色々な視点・立場でミリタリーを捉えてもらいたいと期待したいです。

追伸にかえて:銃や軍装品についてのスペック、スタイルも重要ですが、その背景、歴史についても調べてみれば、さらに興味深く楽しめるでしょう。けっして個人的に攻撃しているわけではないので気を悪くして欲しくないのですが、背景を知れば「ローデシアの方がカッコイイ」というような発言もなくなるでしょう。知らないという事には責任ありません。知ろうとする事が大切なのです。あえて知らされてない、知らないようにされている事もあるのですから。情報不足に対抗するには知っている人が情報を発信する事だと思い、書かせていただきました。

        ★
      赤軍愛好会
     SGS02754カツ

(実名表記について:実名表記については別に意見もあるので、勉強し、まとめてからUPしたいと思います。過去には実名でFNMOKEIに書いていた事もあるのですが、それにより実生活上で支障がありましたので。基本的には反対です。)


後日談 「アホカリプス'97」を糾弾する。

この文章を発表した後、1997年7月にもミリタリー趣味の世界では「アホカリプス'97」というイヴェントが開催されました。(96年にもやったのかな?)。がしかし、そのイヴェント中で行われたアフリカ大陸での戦争をテーマにしたイヴェントは悲惨とも言えるレベルのものであり、あきれ返るものでした。「間違ったイメージのアフリカ人」であるイメージを開き直って演じ続けるというものでありました。「アフリカ人」側役で出演した方々は「サル」であったり「木の幹」であったり…。まさに「コミケ主義」の現れであると感じます。
「アホな事をするイヴェント」であるとか「お笑いなんだよ」という理由を付けたとしても、結果的に行っている行為は人種差別である事には変わりはないと思います。冗談のフリをして他者に危害を加える、これは最も忌むべき行為ではないでしょうか。このイヴェトの情景が流れ流れてアフリカにも届く。そんな事もあるかもしれません。
「アホカリプス」というイヴェントには私もからんでいます。しかし私はかような姿勢でのイヴェント開催が続けられるならば、断固勇躍席を蹴るつもりです。
主催者の方々はそれなりに知識も分別もある方々である事も承知しています。次回開催の折は、他のテーマであれ、このような点に是非留意していただき、ミリタリー業界ならびにサバイバルゲーム業界の質的発展に向けて努力していただきたいと思います。それならば私達も協力をし続ける事でしょう。

人民K 1998/02/22




国際共産趣味青年同盟 赤軍愛好会 赤軍博物館
共産主義・社会主義・無政府主義 項目別データベース
テクスト・映像・音等々の紹介 各部会対話室



1998/02/22


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