ロゾフスキー
Solomon Abramovich Lozovskii 1878〜1949?
ソヴェトの政治家でかって労働組合運動指導者として有名。ユダヤ人小学校教師の子として生まれ、幼時から労働に従事し、1901年ロシア社会民主労働党に入党、1905年カザンの一揆を指導して投獄されたのち、フランスに脱走し、パリで労働組合運動を指導した。ロシア革命が突発するや、1917年5月帰国して全ロシア労働組合中央評議会書記となり、組合問題で意見が一致せず1918年党から除名されたが、1919年復党した。1920年プロフィンテルンの創立に努力し、1921年その第一回大会で書記長に選出され、1925年英ソ労働組合委員会、1929年汎太平洋労働組合会議に参加した。1927年ソ連邦共産党中央委員候補となり、さらにコミンテルン執行委員、極東関係担当の外務人民委員代理(1939〜1946)、ソ連邦情報局総裁代理(1941〜1946)、同総裁(1946)を歴任した。労働組合運動にかんする著作が多く、多数の日本語訳があるが、改良主義組合に対する彼の規定と戦術は、セクト的なものとして1935年コミンテルン第七回大会で批判された。1949年スターリンにより追放されたが、1956年名誉回復された。
(中林 賢二郎)平凡社 世界大百科事典より



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