カール・マルクス Karl Heinlich Marx
1813〜1883年
ドイツの革命家、哲学者、経済学者。
ライン地方(プロイセン)の裕福なユダヤ人弁護士の息子。ベルリン大卒。
学位論文は(エピクロスの自然哲学)(1841年)
ブルノー=バウアーらの(ヘーゲル左派)に属す。ボンに移り、大学教授を志したが果たさず、1842年ケルンに招かれ野党的な(ライン新聞)を編集。
1843年幼なじみのジェニー=フォン ウエストファーレンと結婚、パリに移りルーゲと(独仏年刊)誌を発行、翌年、初めて生涯の友エンゲルスと知り合う。
プルードンらの革命家グループと接触、1845年パリを追放され、ブリュッセルに亡命。1847年(共産主義者同盟)に参加。1848年(共産党宣言)を起草。
まもなく、2月革命でベルギーを追われ、ケルンに戻り(新ライン新聞を発行するが、ここもやがて反革命が勝利し、1849年ロンドンに亡命、永住。
貧窮の中でエンゲルスの財政的支援でかろうじて生計を保ち、大英博物館に日参してライフワーク(資本論)(第1巻、1867年)に取り組み。そのかたわら、1864年(国際労働者協会)(第1インターナショナル)を創立、その中核となり、マッツィーニ、バクーニン、ラサールらのセクトと論争し、パリコミューン(1871年)を世界最初のプロレタリア政権として賞賛したが、その挫折と第1インターナショナルの分裂で失意の晩年を迎え、病気のため(資本論)も未完のまま、妻に先だたれた2年後、膨大な遺稿とノートを残して死ぬ。
墓はロンドンのハイゲートにある。
(マルクス主義)と総称されるその理論の特徴は、哲学的唯物論・弁証法・経済学的剰余価値説、社会主義・階級闘争の戦術におけるプロレタリアート独裁論に帰着する。
著書
1843年”ヘーゲル法哲学序説” 1844年”ユダヤ人問題”
1845年”神聖家族”  1845年〜46年”ドイツイデオロギー”
1847年”哲学の貧困” 1850年”フランスにおける階級闘争”
1852年”ルイ・ボナパルト、ブリュメール18日)
1859年”政治経済学批判”  1871年(フランスの内乱)
1867年〜95年”資本論第1巻”(第2、第3はエンゲルス編)
1904年〜10年 遺稿”過剰価値学説誌”全3巻カウツキー編。



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