聶耳 ニエアル 1912/02/15昆明〜1935/07/17神奈川

中国の作曲家。本名聶守信(ニエ・ショウシン)。雲南省立第一師範の学生時代に学生運動に参加して雲南政府の弾圧を受け、1930年上海に出る。反帝大同盟という大衆団体に加わり、1931年に呂驥(リュイチー)など新音楽活動家と知り合い、百代(パテー)国楽隊を組織し、〈金蛇狂舞〉に代表される中国民間器楽曲をレコードに吹き込む。1932年には進歩的映画を制作する聯華映画会社の音楽主任となり、聶耳というペンネームで数多くの映画主題歌、大衆歌曲を作曲した。なかでも〈大路歌〉〈工農一家人〉〈新的女性〉などの歌は、労働のリズムや青年たちの意気を形象化したもので、中国における社会主義リアリズム音楽の先駆として高く評価され、現在でも革命歴史歌曲と呼ばれて広く歌われている。また、彼が作曲した歌劇〈揚子江暴風雨〉では老波止場労働者に扮して舞台に立った。1935年日本に亡命。田漢の歌詞による〈義勇軍進行曲〉(映画〈風雲児女〉の主題歌)の楽譜は、日本から中国に送られたという。この歌は中国民衆に広まり、デモ行進などでよく歌われ、中華人民共和国の成立当初、暫定国歌に定められ、のち1978年集団改作による歌詞がつけられて(人民K注※文革により田漢が批判されたため)正式の国歌となっている。藤沢市鵠沼海岸で水泳中に水死。

(村松一弥)

音楽大事典/平凡社/1982年初版1986年初版第9刷/編集兼発行下中邦彦/より引用



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