リヒャルト ゾルゲ 1895〜1944
ドイツの新聞記者・共産主義者 バクー生まれ
第一次大戦に参加。1919年に創立されたドイツ共産党に入る。
1925年モスクワに行き、コミンテル情報局・ソ連共産党で活動。
1930年〜33年”社会学雑誌”特派員として上海で情報活動、
”フランクフルターツアイトゥング”特派員として1933年来日、日本で情報活動を組織。 1941年尾崎秀実(ほつみ)らと共に検挙され(ゾルゲ事件)1944年死刑。 その活動は国際的反戦平和運動の一環であった。
参考資料 ”現代史資料(ゾルゲ事件 1・2・3・24巻)
コンサイス外国人人名辞典より

社会学者、ドイツの新聞記者、ゾルゲ事件の中心人物。南カフカス(現、アゼルバイジャン共和国)生まれ。父アドルフはドイツ人、母ニーナはロシア人。
3才のおり家族とドイツに転居、少青年期をベルリンで過ごす。
ハンブルク大卒。社会学博士。第1次大戦に志願兵として前線へ送られ、3度に渡って
負傷、戦争とは何であるかを実感した。
除隊後独立社会民主党さらにドイツ共産党へ入党、党の情宣活動に従事、「ローザ・ルクセンブルクの資本蓄積論」を出版する。
1924年ドイツ共産党の指令でモスクワへ派遣され、マルクスレーニン研究所に所属、
「ドーズ案とその影響」「新ドイツ帝国主義」を刊行、コミンテルンの仕事につく。
中国情勢の緊迫化につれ、中国へ派遣され、上海で尾崎秀実、スメドレーを知る。
33(昭8年)モスクワに帰り、日本派遣が決定、「フランクフルターツアイトゥング」
紙の特派員として来日。
ナチス党員としてドイツ大使館の私設情報担当となって活躍、日本の政治、外交、軍事に関する情報の入手、通報に努めた。
その間に書いた論文、通信も多い。41年10月国防保安法、治安維持法、軍機保護法違反で検挙され(ゾルゲ事件)死刑宣告を受け尾崎秀実と共に処刑された。
遺体は戦後になって、愛人の石井花子により多摩墓地に埋葬された。64年「ソヴィエト連邦英雄」の称号が贈られた。(尾崎 秀樹) 朝日人物辞典より



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