聶耳記念碑 訪問記

人民K


神奈川県くげ沼海岸にある聶耳(ニエ・アル)の記念碑に行ってみた。聶耳は現在の中華人民共和国の国歌の元になった「義勇軍進行曲」の作者である。

四つの耳の字を名前とする聶耳は、1912年、中国雲南省・昆明に生まれ、多くの曲を残した。中でも当初、抗日映画〈風雲児女〉の中で使用された「義勇軍進行曲」は日本の侵略・占領に抵抗する民衆の間で大好評となり、民衆・兵士によって愛唱された。〔起て!民衆よ!奴隷となるな!人民の力で中国を守れ!前進!前進!〕という意味のこの歌は、虐げられていた中国の民衆の士気を鼓舞し、救国の意識を持つ人々によって抗日戦中歌われ続け、中華人民共和国成立後、国歌として採用されたのである。

中国の、聶耳を描いた映画などでは中国国内で死亡という事になっていたり、日本に出国する時点で終わってしまったりしているが、1935年、当局の弾圧を逃れ日本に亡命した彼は、1935年7月17日、神奈川県・鵠沼(くげぬま)海岸で水死したのである。この事は中国人にも日本人にも意外と知られていない。特務により殺害された、という説もあるが、推測であると、私には思われる。鵠沼の砂浜は少し先に行くと急に深くなっているそうだし、浜辺は広々として、他殺ならば目撃者もいそうなものだ。もっとも、現在と当時では風景も違うのだろうが、砂浜であった事には変わりないだろう。やはり、単なる水死ではちょっと恰好が悪いからであろうか。

小田急線・鵠沼海岸駅から徒歩15分程度で砂浜に至る。ぐるぐるとトグロを巻くウォータースライダーのある鵠沼海岸マリンランドの隣、小川を挟んだ道路の脇に聶耳記念公園はある。周辺は湘南海岸らしく、サーファーや海水浴客などが多いのだが、誰もここの公園は気にもしていないようだ。我々一行は真夏の湘南海岸、のイメージにはそぐわない風体であるらしく、周囲の好奇の視線を浴びまくっていた。が、偉大な作曲家であると同時に、偉大な革命家の一人である人物の記念碑へ行くのに手ぶらで行くわけにもいくまい。花束を持って行ったのだ。さすがに、海岸→花束→から連想されるものは不吉ではあっただろうが。

記念碑は聶耳のレリーフが埋められた立派なものであるが、公園全体も含めスッキリとしたデザインでまとめられている。我々が行った時は、記念碑自体にはビニールがかけられていた。落書きや汚れの防止の為であろうか。郭沫若の献辞などの石碑も園内にある。


記念碑のレリーフ 落書き防止のビニールがかけてある為、不鮮明。

湘南海岸を紹介したガイドブックなどにはあまり載っていない場所ではあるが、日本と中国の関係史の上では重要な記念碑であると思う。もっと紹介されてもいい所ではないだろうか。抗日の意気に燃える聶耳が、その日本に亡命した、という事実。孫文、魯迅、周恩来など中国の革命家の多くが日本に留学したという事。そのような事などから、日本と中国の、単純ではない関係について考えてみるのも、アジアの今後を考える上で、いいのではないだろうか。

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1997/09/11

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